ガダルカナル作戦

太平洋戦争初期、日本とアメリカが双方とも最大の戦力を投じて行われた作戦 です。日本軍はガダルカナル作戦までは、アメリカ軍に対して優勢でしたが、こ の作戦で日本が失敗したために、アメリカ軍に押されていきました。


1942年8月7日から翌年の2月7日までガダルカナル島で行われました。ガダ ルカナル島は、連合軍のオーストラリアとアメリカを結ぶ線の上に位置します。 ガダルカナル島を日本軍が押さえれば、米豪両国を分断できると、日本軍は判断 し、そこに日本海軍が飛行場を設営しました。その飛行場をルンガ飛行場といい ます。現在は、ヘンダーソン飛行場と呼ばれる飛行場です。


現在のヘンダーソン飛行場
飛行機の後ろに見える山の方から
日本軍が総攻撃をかけた。


ルンガ飛行場を作った日本軍は小部隊でいたところを、アメリカ軍の1個師団 がガダルカナル島に奇襲上陸し、瞬く間に飛行場を奪ってしまった。日本軍は、 飛行場奪回のため、一木支隊、川口支隊、第2師団、第38師団を順次上陸させ たが、いずれも苦戦し、飛行場に近づくこともままならなかった。日本軍の主力 戦闘機は、ラバウルから飛んでくるため、ガダルカナル島には15分程度しかい ることができず、アメリカ軍はヘンダーソン飛行場から迎撃に出るため、制空権 は完全にアメリカ軍のものになっていた。ガダルカナル島の日本軍は昼間は行動 できず、夜のみ移動するという状態が続いた。


また、海上もアメリカ軍が優勢で、ガダルカナル島に補給する日本軍の輸送船 はことごとく撃沈され、ガダルカナル島への補給は閉ざされてしまいました。ガ ダルカナル島は、ジャングルの島で、食料となるものはありません。島にいる日 本軍は、飢えと病気(マラリアの流行地で、現在でもそうです。)で多くの兵隊 が亡くなりました。


日本軍は上陸した総兵力31,400人のうち、21,000人の戦死、戦病死者を出しま した。残った兵士達も、1943年2月1日から7日までの間に餓死寸前で撤退しま した。実際の戦闘で亡くなったのは5・6千人と言われています。後は病死と餓 死です。ガダルカナル島を「ガ島」=「餓島」と呼びます。


ガダルカナル島を制圧したアメリカ軍は、ソロモン諸島ニュージョージア島ム ンダ飛行場(日本軍の設営した飛行場、ガダルカナル島とラバウルの間にありま す。)へと迫ります。

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